くそ雑多なひとりごと
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今日はクーラーを掃除したのでトヤフィンドールに1億点
でもクーラー掃除をn年単位で放棄してたのでマイナス5兆点

#pokemon 単純属性だけならナンジャモとアオキが正反対でオモロだとおもう。見たい。作中で絡みがあるかは知りません

#TOYAmade マンガで描いたことは基本的に訂正しないが、テキスト記載の設定は後々微調整してもよいものとする(俺ルール)

多分なんでもないタイミングじゃないと言えないことだから言うけど(なんでもあるタイミングだったら消します)

好きな作品に関わったクリエイターや声優って、自分の人生に影響を与えている一方で距離自体は遠いっていうやや特殊な存在なので、亡くなった時の実感があまり湧きにくい。作品はいつ見てもその作品であって、関わった方が亡くなったとしても変わらずそこにあるので(※完結済みの場合)。なんというか、この人が生きている時に生み出された作品に出会えることができた自分はなんて幸運だったんだろう、みたいな気持ちになるのだよな(※事故や早世とかではない場合)。だから冥福やお悔やみって感情がやっぱりなんかしっくりこなくて、それは近しい人がやることなんじゃないかなあみたいに思ってしまう。別にそれを願うインターネットの人々は否定しないけどね。結局自分の気持ちの話になるから

ただ、なんかSNSで亡くなった直後のクリエイターについて触れるのは現代のバズ・システムに人の死が取り込まれているのがかなり不気味で吐き気なのでどっちみちしないけど。いや、それも否定はしないけど 愛された人だったんだなあっていうのが人々の声で見えるということは誰かの救いになるかもしれないから。ただ私個人としては他の有象無象バズと同じように電子に処理されている様が気味悪く映るってだけ

10年以上前のアニメをこすり、流行りの言葉に違和感を感じている時、オ、オレの頭が硬直しているのかも!?!?!?!?って不安になるよな!!!なあ!!!!(誰への投げかけ??)
いや好きなものを擦るのはいくらやってもいいけど疑問やマイナス感情はうまく調節しないとどんどん重力に引っ張られるのでダメ

さいとうなおき先生の言うことは大方真っ当だし色々大変な中発信してるんだろうなと思うしまあ有難く視聴してるんだけど、それはそうとしてあの人が『絵師』って言葉を使うたびに「影響力のデカすぎる存在が絵師絵師言ってるから絵師って言葉が定着してるんだろうなあ…」が頭を過り難しい顔になってる。絵師って…何?

利便性の面はわかる。イラストレーター(長い)とかマンガ家とか、下手するとアニメーターとかも全部ひっくるめられる2文字2音の短い言葉。確かに便利だ。便利なのは良いことなのだがなんか説明しづらい本能的な部分がもうずっときしょみを感じている。なんだァ?絵師ってよォ……

この人ずっと絵師って言葉を気持ち悪がってるな。絵描きじゃダメかい?

↓つまりこいつは人に自分の好きな作品を薦めるのがどう足掻いても向いてない。(体験込みの思い入れが強いため)QED証明完了


でも好きな作品の概要をしゃべりた~い!しゃべる~~

私が心から好きで円盤も買ってるテレビアニメ、ドマイナーってワケじゃないけど「同年代のオタクなら大多数はタイトルを聞いたことがある」レベルの作品はないんだよな。
私ィ~マイナー趣味でェ~~みたいなのはダルいので言わないんだけど、けっこうアニメ見てきてるのにどうして超メジャー流行りアニメが一本も入ってこないのか?について考えるなどしていた。

超メジャーアニメ、例えばグレンラガンとかも当然面白いと思ってるし、要素としても好きなものが多い作品だなあと思ってるんだけど、DVD買おう!!まではいかなかったんだよね。これさ~~~なんかさ~~、“自分で発掘した感”が足りないのかもしれん。私が見たのって確か再放送か何かで、すでに評判になり尽くした後だったから。

好きでDVDまで買うに至ったテレビアニメって、『自分で見つけた、前評判知識なしで視聴した』ものばっかりだなあと思う。平家物語だけは3話くらいでにわかに評判は耳にしてた気がするけど、まあ序盤だったから…?
なんというか、その体験込で思い入れ・作品好きポイントに加点されちゃうところがあるのかもしれない。その極地がエル・カザドなのかも。

本当に何の前評判も知らずリアルタイムでグレンラガンを視聴した世界線の自分はちょっと見てみたい。ただ、それでも大江戸ロケットの方が好きな要素多いのは間違いないんだよな…?(同時期同原作者アニメ)トンチキ嘘和風だし……


ナラティブってやつ?ゲームプレイ体験に思い入れはまり込む原理に近いものがアニメの視聴体験でも発生している感じがある。つまりなんというか、出来る限り全てのアニメを前評判なしで観たい。俺が見つけたと思いながら好きなものを摂取したい。その体験が伴うと好きなものをより好きになれるから。そうですね~でもSNS社会って爆発的に話題になるものが放送直後からバズりにバズりまくるからなあ。難しいですね

フィットボクシングのデイリーの一番長いやつ(1時間6分とかのコース)余裕でできるわ~と思ってたけど、改めて腹筋に力を入れながら腰の回転を意識してめいっぱい振りかぶってやってみたらクソ疲れた。慣れると自然と手を抜いてしまうというのはあったかもしれない。同じ時間を使うならしっかりやった方がお得なので意識を切らさないようにしたいところ

#pokemon ネモに怯えるトヤチョなんか面白いんだけど なんで私はゲームキャラに塩対応されたがりなんだ
粗雑に扱われたいわけじゃなくて多数の中の一人くらいに思っててもらいたい 特別扱いしないでほしい(ゲームの主人公なのに?????)

昔のアニメってなんか謎に空気キャライジりがあったけど(影が薄すぎて存在が気付かれないみたいなギャグ)最近はめっきり見なくなった気がする。しょーもなめのネタだから別に無くていいんだけど、「なんであったのか」「なんでなくなったのか」はちょっと気になる。分かりやすい差別的イジりに比べると現象がファンタジックだと思うけど……やっぱ作中登場人物の意識は“そう”でも、見る側的には無視イジメっぽく見えるのが良くないのかな?

何の作品か忘れたけど、影が薄すぎる特性を生かしたスパイみたいなの無かったっけ?そういう長所として生かしていくやつは今でもアリだと思う

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そもそもだけど、あの時期(インターネット黎明期?匿名掲示板が一番強かった頃)って、視聴者の言説としても『あのキャラは空気』みたいなイジりが多発してたよね。TODの空気王ネタとか 懐かしすぎるだろ
あれなんだったんだろう。最近はそこまで空気イジり見ない気がする 視界に入ってないだけであるかもしれないけど昔ほど常態化はしてない印象
普通に激寒だから無くていい

大江戸ロケットはキャラデザのシンプルでありながら個性的なところも、キャラ原案バラバラなのに不思議とまとまって見えるところも、背景画のザクザクした感じも主線が青いのも全てイケている。イケてる要素しかない

むっちゃ分かりやすいな
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全部行き当たりばったりみたいに言ってるけど、一応そのうち明かし予定の種は撒いてたりする……けどそれをどうやって公開する展開に持ち込むかはちゃんと決まってないからやっぱり行き当たりばったりだ。

『時間と出来事の積み重ねで瞬間瞬間のキャラの表情ができるんだから、順番に作業しないとキャラの顔が描けない』っていう意識が常にあって、まあそれって多分思い込みなんだけど(少なくとも数十ページ範囲で頭から描こうがケツから描こうが何も変わらないと認識はしている)

それをした結果誰が見ても順番に描いた方がよく見える・高品質なものを出力できるとは全く思ってないから、まあ自己満足なんだよな。しかしこう、私は私の満足のために絵やマンガを描いているわけだから、描いてる時の自分が一番テンションが上がるやり方をする方が絶対良いに決まっている。描き手にしか見えない幻覚だとしても、順番に描くことでテンアゲして魂が宿ってるように感じられるなら順番に描くのがいっちゃん良い。

……という意識から順番に作画してるわけじゃなく、普通にバラバラと描いた時の進捗管理が面倒くさいからっていうだけなんだけど。作画作業では極力頭を使いたくないのだ。1コマ目から描くっていうのは最強の進捗管理術だから そうか?そうかな…

あと、私の場合あんまりしっかりした設計図を作らないので1コマずつ順番に描いていくのが向いているのだと思われる。この場合の『設計図』っていうのは『このコマ以降はキャラに傷や汚れがついている』とか『背景設定画』とかそういう……。『あ、ここでケガしたわ、これ以降はキズつきで描かないとな』『背景描いたからこの最初のコマを参照して後々の背景を描くか』みたいなやり方をしてしまうから、ケツから描くっていうのが不可能に近い。キャラの状態や背景が絶対ごっちゃになっちゃう。逆にバラバラ埋めする人ってこの辺の管理どうしてるんだろう?気になるかも

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もう少し長い目で見た話だと、進行中本編があるとしてそれより数ヶ月後・1年後の顔も描けないんだよな。これは明確に描けない。1年後に奴らがどこで何をしてるか私は知らないから。季節ネタできないのもこれかも。それはお前行き当たりばったりに描いてるからやろがい!そうだよ。もうちょっと時間が進んでくれれば経過済の時間軸の隙間を見つけてそういうネタも描ける気がするんだけど

とにかく極端に帰納法寄りなんだよなあ私くんは。演繹って難しい。帰納法で登り切ってから演繹的に遡る、は好きだけど、大前提や結論を先に決めてそこに繋げる、はできない感じ。とりあえずは帰納でやるしかないんだ。

なんか、気に食わないというか自分にとってガチでつまんねーししょーもねえアニメとかを見た時、『何が良くないと感じるのか』をある程度掘り下げるのは悪いことじゃない(ストレス源はどこ?っていうのを知れば自分の創作物にも活かせるはずだから)んだけど、それで視聴を続けてケチをつけるのが常態化すると反面教師パワーが薄れてただ脳が溶けてハートがドス黒くなっていくだけになってしまう。ヤバい!!飲まれる!!!!と思ったらちゃんと切り離さないといけない……と思い、視聴していたアニメをエイヤと切った。反面教師も悪くないけど、基本的には自分にとって良いものだけを見ていたいものです。

あと、あんまりそういう作品の欠点ばっかり指摘してると「そういうお前の創作はちゃんとできてるんですか~~~~~~~~~~~~~~~~????????」って言ってくるもう一人の自分が湧いてくるので、やっぱりなんか よくないよね~。できてねーよ!!!アーーー(横転)

良いところも悪いところもある、と思ってるアニメ(今期だと夜クラとか)はちょっとケチつけつつも見るけど、もう作品全体を白けた目で見てしまうくらい合わないものはちゃんと切るべき。わかっています。わかっていますよ

大塚愛『さくらんぼ』のなんか分からんがリズム込で気持ちいい箇所発表します

「書きあらわせれない」←ここ

インターネット不特定の色んな文章を読んでいると、変人を自称する人に変人はいないのだよなあ、ってよくなる。変人を自称する人の語る姿は申し訳ないが得てして凡庸だ。言い切っても良い。いや言い切るのは怖い。個人の感想です。
やっぱりね変人に憧れる人類はまず、“変人を自称する変人はいない”ということを念頭に置くべきですよ。え?意識して変人を自称しないようにする変人もいないだって?そうだよ。
そもそも変人に憧れる、とかあの人は本物の変人だよね、とか思うこともなんか傲慢というか失礼というか暴力的な気もするが。高校生で卒業すべき観点かなあというか

『ファミレスを享受せよ』などを作ってるおいし水さんの質問回答記事、類似質問を纏めるとか一切せずに順不同で答えてて面白い。
質問とか全部答える
http://oississui.com/bunsyo/pages/20240601b.html

圧倒的な文字数の中でたまーに不躾な質問者を刺してるのすき(小声)。あと人類、好き作家のルーツになった作品を知りたすぎるのおもしろいな…
それとこういうのって絶対ごく一部に「それ聞くこと?」って人がいる。順不同質問全回答、すごい生感だ……でもおいし水さんのかわし方が上手だ。

作品に触れた時の自分の感じ方について の壁打ち

数億年ぶりにソシャゲのストーリーを読んでみると、登場人物3人で成立しそうな話なのに本筋に関係ないキャラがけっこうな数出てきて本筋に関係ない無駄話をしてて、つい「話に不要なキャラが多いな…」って思ってしまった。思った後に「私、いつの間にこんな効率厨みたいな思考に…?」ってなってた。

ゲームの無駄話って別に嫌いじゃないんだよな。寧ろ好きまである。ただ、それは自分の手で選択して(移動したり話しかけにいったりして)能動的に得たい情報なのかもしれない。本編のテイで無駄話を流し込まれるとダルみを感じてしまうっぽい。

別にこれは特定のゲームが悪いわけじゃなくて、あの手の作品はある程度のキャラ数を揃えて誰かを好きになってもらうという商売なので媒体に最適化されたストーリーではあると思う。(本編内で無駄話も全部やる、っていうのもフルオートでも流せる形態にするためだと思うし)つまり自分に向いてるかどうかっていうだけで…
ソシャゲ原作アニメを継続して見れないのも、アニメという『選択の余地がない一本の話』に対してキャラ数が多すぎるとかそういう理由なので。なんか、なんかそういう脳になっているな…?いつの間にか。ボイフレにハマってた時期とかは別にそんなことなかった気もするんだけど。どうした?
まあボイフレ(ブラウザ版)は本編無しで個別ストーリーだけの形態だったからちょっと違う気もする。能動に任せられた旧式ソシャゲストーリー