くそ雑多なひとりごと
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ことばの違和感・壁打ちです

商業マンガ家のブログ読んでたら、表現チェック修正の話をしてて興味深かった。『雑誌は編集がOKすれば通るけど、単行本化する時はプロの校閲を入れて表現などに問題がないかチェックする』のだとか。そういうのって雑誌は良いって感じなんだ。雑誌と単行本の扱いの差のことそんなに詳しくないんだけど、なんかこうルールみたいなのが違うんですね?

で、その表現チェックで『悪口セリフに出てきた言葉が実在する病気にあるものだったので修正になった』というのがあった。それ自体は妥当だと思うんだけど、『商業なので炎上リスクを避けるために指摘されている』『物語上必要な表現なら炎上覚悟でやりたい』みたいなことを書かれていて、「ん…?」ってなっちゃった。炎上するからダメって認識なのだろうか?

確かに、一番直接的実利的な面で言うなら差別表現を避けること・コンプラ配慮をすることって『炎上リスクの回避』かもしれないけど、根本的に言えば『それで傷つく人が出ないように』なのではないか……?みたいな。

本来は『傷つく人がいるから炎上する』、という順序のはずなのに、『とにかく炎上するからダメ』みたいな認識になっている人はけっこう増えているような気がしないでもないのだよな。間がスポっと抜けているというか。

『この表現は炎上するからダメ』ではなく『この表現は人を傷つけるかもしれないからダメ』が本質だと思うし、『必要な表現なら炎上覚悟でやりたい』は『必要な表現なら誰かを傷つける覚悟をした上でやりたい』という認識であるべきじゃないか……?みたいな違和感……?

なんかこ~~~~、綺麗事というか、物事を是正してえ!!とかではないんだけど、そう言っちゃうと『自分は本質部分ではなく炎上という表面的事象の部分しか見ていません』っていう認識が透けちゃわないか……?表現者としてそれはどうなんだろう?みたいな、そういう違和感を言葉の言い回しに感じちゃうよね。どうしてもね。という話だった。
まあブログの文章を読んだだけで作者の深い人となりなんて知らないので知らんですけどね。言葉もまた人格の表面の一部分でしかないし。それで全部知った気になるのは一番ヤバいから



というか『炎上』に限らず、便利で強い言葉が定着した後は言語が圧縮されすぎてこういう本質的ニュアンス抜けが起きやすい気はする。『推し』とかもそうだけど

桃すき。ピーチ味の食べ物そんなに好きじゃない。桃の味というより食感なんだと思う

「今!初めて名前呼んでくれた!!」っていうエモ・シーンへの逆張りで「しれっと名前を呼ぶしそれについて言及しない」をやりたくなるけど、逆張りするほどあるあるとされてもいねえよ。って感じではある
いや私の観測範囲ではかなりあるあるなんだよ。今初めて名前呼んでくれた!のやつ。でもそれに逆張りするのは意味不明だろ。必要なやりとりならやります。とりあえず的にやるのがイマイチしっくりこないらしい。初めて名前を呼んでもらうことに感慨深くなるということ、よっぽどその相手に思い入れがあるかなんかしないと無い気もするしなー

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呼んでもらいたがってはいるのだが そんな重大な雰囲気でもない気はする

続きもののマンガの区切りタイミングって難しいな。特にページ数制限のない媒体の時
一つの流れを何話もかけて細かく切るとテンポが悪かったり話が分からなくなったりするし、一段落ついたのに区切られずにそのまま話が続いてるとそれはそれでなんか困惑する。でも、区切りの丁度良さってかなじ個人の感覚に依存するので何が正しいとも言い難い感じはある

#TOYAmade 横文字っぽい言葉は化妖発祥、みたいなぼんやり設定があるけどまだちゃんと決まってない。和ベースで横文字をバリバリ使う理由をこじつけたい。

メッセジありがとうございます!!社会人野球はネット配信 で観れまあす!
パッチョ対サステナブルくんの準決勝は明日29日18時から!🐻🐶

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#TOYAmade 井正と沙華、そもそもが『世界(物語)のはじまりになる二人をサイコロふって作っちゃおう』というリアル偶然の産物なので、絶対に運命の糸や絶対的因果に縛られてほしくない、という願望がある。そういう願望を下地に描いているかもしれない。
根源的な縁の縛りはないけど、描きながら相性の良し悪しや相互作用や共にいる理由を見出したりする感じでやっていきたい気持ちはありける。(勿論いずれ離れるもまたヨシ 好きにせえ) そういう気持ちでやっている。

とはいえ、一方で本当にそういう強い理由を備えない二人なので難易度の高さを感じることも多いんだけど。なんだかんだ血縁・同僚・恋情・憎悪などの離れがたい因果は創作物においてはバリ強いと思うし。粘着性のあるテープは引っ付けやすいけどサラサラの紙はひっつかないわけで(?)

難しいし素人がやることじゃねえだろという気もするのだけど、行き当たりばったりさも含めて自分がやる理由自体は見出しやすいのでまあ、よしとする。トヤマ、他人同士が出会うのが好きなんだもんな。



いやなんだろ、描いていくうちに因果が形成されていく→OK / 最初から何かしらの因果や運命的な設定を下地に描いていく→NG みたいな感じだ。イゲシャゲについては

物語における『偶然』って、ともすれば『話の都合』になってしまうじゃないですか。だから出来る限りのことを『因果と必然』で理由付けする必要があるのかな、と思うのだけど。

一方、現実に起こることって大体は偶然で、全部が必然と因果で繋がってることってほぼ無い気もする。本人の行動の結果はあるけれど、やっぱりそれで全部が決まることって無いよね。基本的には(主観と捉え方によるけど)

物語はそもそも生み出されてる時点で作為的なので、『偶然の出来事』というのも作り手の作為である。ゆえに偶然という作為を更に重ねるとどんどん陳腐化していくのかなー。だから、物語において『本当のマジの偶然』っていうのはジョーカーみたいなもんで、基本的にはそれ以外のカードで回していった方がよさそう。


ただ、都合や作為とは受け取られにくい偶然もある気もして、そういうのを上手く盛り込むと丁度良いのかもしれない。
例えばだけど、『お約束』と取られるような設定とか。萌えモノ作品で主人公にたまたま可愛い幼馴染がいて、学校ではたまたま隣の席に美少女の転校生が座る…みたいな状態ってメチャクチャ都合のいい偶然の積み重ねだけど、それは『お約束』だから別にいいでしょ、みたいになるのではないだろうか。

『前提』部分の偶然はご都合を感じにくく、『展開』上の偶然にはご都合を感じやすい、っていうのもありそう?

ただし、偶然に見えた出会いに実は意味があって…という理由付けがくると人はエモくなりがちなのでやっぱり理由はあるに越したことはないのかも。ただそういう運命的理由ばっかりだと逆に食傷気味になる自分もいるんだよな。全ての出会いが運命であるべきとは思わないし、ガチ偶然でもいいじゃんという気持ちもあるかも。数奇だよ
『偶然』と同じくらい『運命』にも都合がよく乱暴な側面がある気もする。閑話休題



それと、偶然の展開というものを本当に偶然にしてしまうということ。これも確実に作為ではなく、しかしその偶然に魂を感じちゃったりできるので強いな~と最近思う。ゲームのランダム要素やTRPG・ボドゲなどのサイコロものとか。
ただし、これは本当の偶然であるが故に望ましい展開になるとは限らないというのはある。

清く正しく誇り高く誠実な人が沢山出てくるマンガを読みながら、自分の創作に清正誇高誠実人が出てくることはあるのだろうか、になっていた。多分そういう人物作ると絶対どこかにしょーもなさかロクでもなさを仕込んでしまいそう。清正誇高誠実人だけど共感性がメッタクソ低いとかそういうの。手癖だ。

好きなゲーム配信者がよく海外のポケモンパk…ライクゲームをやるのでそれを見てる。

最近のポケモンライクゲームってBWの動くドット絵の雰囲気を継承しつつ、HD2Dっぽいグラフィックにしたりしてるんだよな。ドットだけどしっかり主人公のキャラメイクが可能だったりする。なんというか『本家ポケモンが今更ドットに回帰することはないだろう』というのを踏まえると『世界線分岐したポケモン』みたいになっててちょっと面白い。

『Youtubeなどのサムネは否定的なことや尖ったことを書けば釣られて再生されやすい』っていうメソッドがあると思うんだけど、『嫌われている人はそもそも話を聞いてもらえない』『今のインターネットは割と好感度がモノを言う世界である』っていう人間の性質と相性が悪すぎない?みたいなことを考えていた。

尖ったサムネを使うと再生されやすいが嫌われやすい、丸いサムネを使うと再生されにくいが嫌われにくい、だとすると最終的にはどっちのメリットが上回るんだろう。結局多少嫌われるリスクを取ろうが知られないと始まらないから前者の方が強いのかな。なんかそういうリスクリターンのシミュレーションゲームみたいですね。

(狙って嫌われることで数字を作っているタイプは別枠として)

仕上がったイラストよりラフの方が良かったって経験あんまないんだよな。ラフからよりよい完成図を補完する想像力を持ってないから。

カラオケ行きたくて炎天下を往復1時間半歩いたの意味不明人類不合理行動だったかもしれん
でも今日行ったカラオケは受付から精算まで人間と接する必要がなく内装も綺麗なので最高。カラオケいくならここですわ。でも熱中症警戒アラートの中徒歩で行くのはバカ みんなはやめようね

#PARANORMASIGHT パラノマサイトって
『世間狭すぎじゃない?』『登場人物関係ありすぎじゃない?偶然にしても』ってなりそうなところ、割としっかり理由付けして『必然』寄りにチューニングしてるところがしっかりしとるよな~と思う。ヨーコとオキイエが巡り合ったのも必然だし

完全に偶然なのは末裔である白石・吉見が両方奥田の関係者だったところとか、白石が岩井の悪事(引いては根島)に絡んじゃった部分とか、白石が轢き殺されたところとか…かな?だいたい白石関係で、それは白石がガチ不幸の星の元に生まれてるっていうキャラ的な部分で一応説明できる。ここうまいよなあ。白石に偶然の不幸を集約することで「白石はそういう娘」にしちゃったのが。うまい。かわいそうだけども▲とじる

#-sage
イナババのポケモンSV、やや微妙だな…(※個人の感想)
いや普通に楽しくはあるんだけど、あまりにも動画でやることを前提としすぎているというか……?動画だから接戦を演出しなきゃとかそういうのは…よくない?って思っちゃうかも。推奨レベル教えてもらうのとかもなんかもったいなく感じてしまう。
もっと自由に急にわけわからんレベルのフィールドにいってギャア~みたいなことやってもいいのにな。せっかくのオープンワールドなので

あとこれは完全に私の感覚の話ですまんのだけど、ポケモンの名前を全部NNで呼ぶのがなんか…違う!ってなっちゃった。NNつけた個体と野生個体はさあ!!別の存在じゃん!!!!!(あ!!!難しいオタクくん!!)


私この『ポケモンを個体で見る』というところのこだわりが妙に強い人間だよな~~。ピカチュウが大谷育江の声で鳴くのもずっと嫌がってたし(大谷育江の声で鳴くのは…サトシの個体だけだろ!!という気持ち)

#-sage
個人的に一番好きなXX←『一番好き』が個人的じゃないことがあるのかよ。馬から落馬じゃん

個人的警察の自分を制御できないの嫌すぎる 個人的にってつけとけばいいみたいな何か無い?スゲー苦手だ

#-sage
やっぱり『+』よりも『×』の方が『キャラクターが関わり合っている』感を強く感じるので恋愛や性愛に限らずもっと使っていきたいよなー。ずりいよ
その場合の表記順は『男×女』や『攻め×受け』『語感』じゃなく『キャラクターナンバー順』がいい。だって主人公が女の時『(サブ)男×(主人公)女』って表記になるのなんかキモくないですか?普通に考えてより重要な方を先に表記するべきだろ、公式サイトだってそうしてる。受け攻めっていう概念が表記順を面倒くさくしている。

2人が作中に置いて同じくらいのメイン度な場合(ダブル主人公など)はより視点に近い方か、登場が早い方かなあ。グノーシアの乗員とかだと私は登場順で記載することが多い


しかし上記の法則で考えると幣創作である『ばけいづこ』の表記順ムズくね?に割となる
普通に考えたら井正が先なんだけど、なんか考えてると井正って全然視点じゃないし、井正と沙華がけっこう限りなく同じくらいの値の主人公になってしまうんだよな。今妄想している先の展開が描ければ沙華の方が視点になるまであるし(未定)

まあ重要度の値がほぼ同じなら井正先でいいか。イゲシャゲです。ゲーゲーしとるな

たまにインターネットで見かけるマンガ描き のブログを遡って読んでるんだけど、5年以上前の記事で「今回久々のコミティア一般参加。だけど自分の同人誌を持ち込んで差し入れとして渡して回ってみた」みたいなことが書かれてて(サークル参加していない人がグッズや本を配るのはダメ行為)

それを読みながら「もしこの人が炎上したら過去の他案件としてこれもついでに掘り返されて燃やされるんだろうな~」とクソみたいなことを考えていた。流石にかな~~り前の記事なので当人の意識は現在は改まってる可能性が割とあるとは思う。しらんけど

しかしネット上に自分の軌跡を積み上げて残していくというのはリスクあるよな~。人のこと言えんですが……

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そういえばの追記

私は上記の人のブログが面白かったから5年分遡っててある程度好意的に人物を捉えている。だから、そんな人でもちょっとしたルール間違いをしてしまうこともあるのだろうな~と受け止められるじゃん。私にとっては『何百分の一』の情報だから。

でももしこのルール違反的な部分だけが切り取られて多くに知らされた場合、その情報は多くの人にとって『一分の一の情報』として受け取られるわけだよな。その一分の一の情報がその人の全てのように受け取られる。たくさんの炎上騒ぎでは基本的にこれが発生していて、だからSNSの人間たちは大げんかをする…ということが起きるんだよね~~

みたいなことを考えてた。別にその人は燃えてない(たぶん)けど

#-sage
かかげ先生「バズりたいんだったらバズれるキャラを描かなきゃ」
ぼく「しょーもね~」

炎上を契機に群がる人々「こういうヤツがいるからイナゴ絵師が蔓延するんだ!!好きなものを描くべき!!」
ぼく「いや何を目的に絵を描くか自体は人の自由だろ」

↑ぼく氏、天邪鬼なだけ説



私はかかげ先生の添削動画(切り抜き)めちゃくちゃ見てるし、バズはどうでもいいけど技術的なところの指摘の切れ味は唯一無二だと思ってるので今後どうなるんだろ~にはなっている。
ていうかかかげ先生の問題は添削の口の悪さじゃなくてSNSでのムーブのクソカスさだと思うんだけど、なんで口が悪いのが悪いみたいになってるんですかね。SNSで余計なこと言わない・藪蛇行為をしない で十分だと思うんだけど(この件に関しては)(他に指摘されてる過去の問題行為については別件)

『口が悪い』と『余計なことを言う』ってけっこう性質が違うと思うんだけど、まあ本人がライン引きを上手くできていなければ混ざり合ってしまう境界ではあるよな~。口悪いキャラとしてやっていくなら寧ろ誰よりも『余計な口出しライン』には過敏になっておいた方がいい、を感じる。インターネット。それができないな好かれそうなムーブをしてるのが無難なんだろうな


最近炎上を見るとこのF氏の動画を思い出すようになった。そうなんだよな『嫌いなヤツ認定』された人の言葉ってマジで無効状態になる

メッセージありがとうございます!うれしい〜!

なんでもボタンもいつもありがとうございます😊