くそ雑多なひとりごと
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何かトラウマがあるから、とかでもない、理由の思い当たらない「なんか自分は嫌」なものって誰しもあると思うんだけど、ここに全部意味をつけたい場合は前世理論とかになってくるのかな。前世で何かあったから今生では何もないハズのそれが苦手なのだ、みたいな。

フィクションとかに出てくる登場人物の「苦手なもの」の多くはなんかの伏線だったり理由のあるものだけど現実はそうではない、と私は思っている。…なので、現実の人物を語っている人が、何もかも理由と因果がある前提で考察じみたことをしているのを見ると「これこそフィクションと現実の混同だな~」と思うんだよな。

フィクションを見てて、今まであんまり自覚したことのなかった自分にとっての「嫌」を見つけた時ちょっと面白い。
ちょっと前に言ってたスプリットタン見せつけがなんか苦手かもしれんの発見とか

まほやくアニメ見てて思い出したけど(原作のときから感じてたけど)
アーサー殿を取り巻く人々が『アーサー殿に無礼にはならず、しかし自分の都合のいいように現実を歪めたい』ときに『アーサー殿下は悪い魔法使いに操られてる』だの『未熟だから判断能力が低い(という言い方ではなかったけどニュアンス的にはそういうやつ)』だの言ってくるやつ。あれ、めっちゃ「嫌」度高い。あれすっげ~嫌だな。私、あれ嫌なんだ。

要は『自分は正常で、お前は狂っている』という認識を押し付けられる、または本当にそうだと思い込んでいる人々。という状況に耐え難い不快感があるのだと思う。別に現実でそういう状態になって苦しんだことがあるというわけではないんだけど、子供の時からそういう状況のフィクションがめっぽう不快だった記憶がある。自分以外全員の記憶が書き換わってるシュチュエーションとか

いや、まあこれって基本的に大体みんな嫌なシュチュエーションではあると思うんだけど。でも多分わたしこれは『一時的な沈みのパート』としても描けない気がする。嫌すぎて。


でもこのシュチュって考えれば考えるほど哲学的な迷宮に入り込みそうでそこも沼に思える。『自分は正常で、お前は狂っている』という認識の押し付けを嫌だと思うということは、そう思っている側も『いや、自分こそが正常で、お前は狂っている』と思っているということなので。でも自分が狂っていない保証なんてどこにもないし、そもそも正常だとか狂っているだとかいうのは絶対的な基準はなく、社会や状況や常識や主観でしかないようなものであり…うんぬん、うんぬん。

そして、この認識をより強く相手に押し付けられる人間が魔人として覚醒するのだ。(戦闘破壊学園ダンゲロス)

Xでよく流行る「私は○○、✕✕、△△、□□のうちどれですか」的なアンケートでその4属性がそんなに対比でも類型でもない、軸がぐちゃぐちゃなライナップだとウワア~~~ッ!!!揃えろーーーッ!!ととのえろーーーッ!!!って暴れ出したくなる これ一種の潔癖症かもしれんな

今週の乃木坂ANNが卒業ソング特集だった

川嶋あいの『旅立ちの日に…』って『明日への扉』の替え歌バージョンだと思ってたんだけど、ちゃんと調べたら順序が逆なんですね。へ~~
なんか先に知った曲が『明日への扉』だったので、『旅立ちの日に…』の印象は「なんか強引に卒業ソングみたいにした歌詞だな…」だった。←逆なんだよなあ……人間の感覚なんて先入観まみれでアテになんないですね。

多分リリース当時の知名度は『明日>>>>>>旅立ち』なんだろうけど、今卒業式ソングとして普遍的に受け継がれているのは旅立ちの方なので、世代によっては旅立ちの方が知名度高かったりするのかな。

あと今はRADWINPSが卒業合唱の定番になってる、みたいなの、知らない話すぎてすごすぎる。隔世の感。

フィクションの恋愛要素、『登場人物の感情や関係性』は楽しいけど『駆け引き』に楽しさは感じない、またはその逆…みたいなことがある気がする。
めっっっっっちゃ偏見だけど、非オタ層ウケしやすいのは後者濃度高め、オタクは前者濃度高めを好むイメージある。視座の違いかなあ

#memo
「記事の書き方」2025年3月11日の日記|品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)  
https://note.com/d_v_osorezan/n/nf75ce12db36b


こまごましたテクニックはたくさんありますが、根本的には「頭の中で普通の人を飼う」のがいいと思っています。
問題は、脳内に棲み着くそいつの品質です。記事や漫画の完成度は、脳内で育てたそいつの人格の精度に掛かっているとすら言えるかもしれません。
わかりすぎてグアーになった。わかるといってもできるとは限らない。
よく「センスだけは教えられない」とか「クリエイティブは才能」みたいな言説がありますが、それはこの「普通」の感覚を獲得することの難しさを言ってるんじゃないかと個人的には思ってます。
私はセンスだの才能だのという言葉を定義すらせずに雑な理由付けに使う世界に腑に落ちなさを感じ続けてるんだけど、これは一つの定義としてかなりしっくりくる(唯一解ではなく、一つの答えとして)

めっちゃしっくりくるんだけど自分が飼っている「普通くん」の精度に全然自信がないのでウウ……ってなる。あとその普通くんをガン無視して突っ走ってしまうことも割と多いので困りものすぎる。どうすればいい??!!


それはそうと恐山氏が性善説ドラゴン氏に慄いている様はちょっと面白い。バトルマンガの登場人物の心理みたい。というか、『インターネット性善説』を名乗っている人物が本当にインターネット性善説みたいなハウツー動画を出しているところもすごい。絶対に勝てないタイプのバトルマンガの主人公?

性善説ドラゴン氏の記事やアニメ50周やポケモンセンターを読んだことがあるけどどれも面白かった

自分の他に見ている人がいないわけじゃないけど、その存在が不定形にしか感じられない個人サイト、目指しています

でもあんまハッキリとそう表明しすぎると何があっても関わるコミュニティに触れられなくなるのでケースバイケースとします。必要なければ触れないし必要なら触れる 普通の結論すぎるだろ

つぶやき系のSNSは作品発信と語りとコミュニケーションが同時に行われやすいプラットフォームだと思う。人の自我はけっこう好きだが、『人の輪の存在』という情報(空リプをRTで回し合うとか)が付随することをノイズに感じるので、普段はある程度視界から排除するようにしている。
具体的に言うとブログがあるならブログだけを見るとか、pixivだけ、Youtubeだけ見てXは見ないとか


それはまあまあ快適なんだけど、そうなると今度はどんどん『人の輪の気配がない』ことが当たり前になってきて、誰もいない路地裏で一人だけで弾き語りを聴いている感覚になってくる。

で、そうやって普段見てるブログが何かのタイミングでふとSNSでの内輪コミュニティありきの話などをしはじめたとき、アッアッアッアッアッ…ってなる。私が一人で聴いていたと思っていた路地裏ライブが、実は見えていない影の中に大量の観衆(しかもそれは演者のダチ)がいたことを実感する瞬間なので。キョドる。本当は別にそんなことないって分かっているのに、実感するとキョドるということがある。なんかある種の傲慢さでよくないなー

メッセエジありがとうございます!!

なんでもボタンもいつもありがとうございます~!

#TOYAmade 「今は描かないけど裏ではこういう動きがあった」みたいなの、一応メモってるけど時間が経つと忘れちゃいそうだから何も考えず全部放出してえ……ってなる
でも描くことはある程度取捨選択しないとキリがないんだよな~。とはいえ語りで「実はこれ裏ではこんなことがあって~」って言うのは出来事のエネルギーが下がりそうでやりたくないという

WEBデザインやコードいじり、ゆっくり動画作ってる時ってマジで時間を忘れるレベルで熱中してしまうんだけど(わたしは、ポケポケトレードの約束取り付けをすっかり忘れて、デザインをつくっていました。晩飯の皿も洗っておりません。懺悔)

なんで絵やマンガ描いてるときはこの集中力を持てないんだい?それができればもっとすごいスピードで絵が描けるんじゃ…?とか思うんだけど、多分そんな感じだったら長くは続かない気はするんよね。
WEBや動画は短距離走・絵やマンガは長距離マラソンって感覚ある 私の中で

井正のキャラ紹介ページで青年っつってて笑った ブレブレやないかい(認識が)

井正の身長175!?ちょっと高くない!?!?172~3でいいよ。なんで急に解釈違い起こしてるの?
サイト改装するときは今の印象でサイレント修正しちゃおっかな♪ここで書いてる時点でぜんぜんサイレントじゃない♪
 #TOYAmade

本編時間軸ではややおじさんくらいの年齢(30後半~40代くらい)で登場し、声優もそれに合わせて少し渋めの役者を当てられているキャラ
が回想シーンで若い頃も同じ声優で、声質が年齢不相応に渋い時特有の栄養素

(これがお爺ちゃんキャラだと流石に別声優を用意されるため、ややおじくらいじゃないと発生しない現象)

#tales テイルズオブハーツ公式ブログの2008年12月16日 13:00、メインライター山本氏による記事「シングとコハク」の文章何度読み返しても泣いてしまうんだけど既にサーバーから消滅してるのでURL貼れないのが悲しい(消える前に全ページバックアップを取っていた)

そんなふたりに、いのまた先生は、黒と白――影と光のように、
互いなくして存在し得ないイメージを備えた素晴らしい姿を与えてくださいました。
さらに、柿原徹也さんと井上麻里奈さんの声を枯らすほどの熱演が、
本物のスピリアを吹き込んでくれました。
その他、何十人ものスタッフが、二年間愛情を注いで育てたふたりの冒険が、
もうすぐ始まろうとしています。

泣。

触れられてないものが世に多すぎ&創作したいことが多すぎてできてないけど、本当に自分が数台いたらそのうちの1台には一生TOHと俺屍とグノーシアを周回し続ける役割を与えると思う

テイルズの話に寄ったからなんかカップルの年齢差トークみたいになったけどオール関係性において1歳差が好きなので1歳差好き。十代の1歳差好きすぎ。でも設定的に妥当なら別に全部そうしようとはならないくらい

#tales クリード=グラファイト(19)ってどこソースだったっけ…ファミ通の攻略本…?確か19だった気がする。2000年前の話だけど(テイルズあるある)
クリードがフローラに子供扱いされてた~みたいなくだりからフローラ年上は確定だと思うんだけど、主ヒロから仲間、ライバル、ラスボス&その想い人まで年上彼女を徹底するテイルズオブハーツなのである。萌

ライバルに至っては想い人におしめを替えられたことがあるもよう(たしか4歳差くらいではある)。局地的な何らかのヘキに刺さりそう。

シングとコハクでコハクが1つ年上なのって「なんとなくそうなった」わけじゃなくストーリー上の必然性があるのもだいぶ芸術点高いと思う。コハクが先生まれじゃないと成立しない筋があるんよね。

十代のキャラの年齢考えるのはめっちゃ好きなんだけど(特に15~19の微妙な塩梅のライン)二十代以上の年齢決めに興味がなさすぎてちゃんと設定しなくていいかも……設定しないほうが色々フレキシブルに対応できそうだし……についついなってしまう。
現実と同じかもしれん(自分の年齢を覚えておらず、書類記入の時毎回生年月日近い野球選手で検索してる顔)

#TOYAmade
井正17・沙華18は私の全身全オタクを賭けたかなり“ヘキ”の強い数字なんだけど、そもそも論不定形出身と無自我出身の年齢設定なんて意味あるのか?感がまあまあ強く、現状はかなり飾り度の高い設定になっている気はする。私もよくわかってないもん、井正の年齢設定をどの段階からカウントしてるのか。わかれよ。

自我持ったタイミングからカウントすると考えるとそんな正確に時間感覚持てるのか?ってなるし…爺ちゃんが拾ったタイミングからのカウントっぽい気もする。そうなると厳密に生じた瞬間からの年齢は+X年されそう。わからん。一丁川井正アレックスラミレス説


これは定期的に言ってる気がするんだけど、私の大大大大好きな年齢設定は『ラキオ(18)・レムナン(19)』、『シング(16)・コハク(17)』などがあり、とにかく近い年の1歳差が好きなんだと思う。

#tales
シング16のコハク17は控えめに言って天才の年齢設定だと思う。この手の少年少女主ヒロRPGにおいて単純に年齢設定するなら主人公>ヒロインがベターなイメージなんだけど(統計は取ってないので印象)
それに、年上とは言っても1歳差ってほぼ同い年みたいなものだから、別に年上ヒロインってわけでもない。その誤差感がマジで好き。誤差だけどちょっとコハクの方が年上なの、よすぎ。加えて作中の他の男女もだいたい女のほうがちょっとだけ年上なの全部好き。ぜ~んぶすき

TOP(17/18)
TOD(19/18)
TOE(18/17)
TOD2(15/16)
TOS(17/16)
TOR(18/17)
TOL(17/15)※恋愛対象キャラは17
TOA(17※/16)※外見年齢
TOT(15/15)
TOI(15/15)
TOV(21/18)
TOH(16/17)
TOG(18/13※)※外見年齢※恋愛対象キャラは18
TOX(15/20)
TOX2(20/8)
TOZ※ややこしいので割愛
TOB(19/10)
TOAR(21/19)

こう見ると『主人公<ヒロイン(1歳差)』の元祖は初代ファンタジアなのめっちゃいいな。あとはTOD2、TOHが該当。全く同じ年齢設定の1歳差年上ヒロインはないんだな。良
TOT,TOIのDS主ヒロが同い年なのマ~~ジでLOVE

あと、こうやって見ていくと初期は同年代主ヒロ多め、TOV以降で色んなパターンが出てきてるのが面白い。その分主ヒロ恋愛関係パターンはかなり減ったけども。

アルフェンとシオンの21/19、フィクション男女カップルとしてはめっちゃあるあるな年齢差だけどテイルズ的には初の年齢感でなんかおもろい。そもそも設定年齢が2つ以上離れた恋愛主ヒロってテイルズ初なんじゃないか?

ていうかテイルズは(というかファンタジー系は)年齢が『※外見年齢』だったり、『※ウン千年前からいる』とかがあったりするので全然厳密でないこと、多い。

#TOYAmade 井正のこと少年って書くか青年って書くかいつも迷う 私の気持ちは少年なんだけど少年の定義が狭い人からすると全然少年ではない気がする。ていうか少年って年齢じゃなく雰囲気かもしれない。井正は『青年オーラ出てる少年』くらいの認識
お沙華は全然少年でいいと思うんだけどな(少年という言葉を一旦無性別にも適用するものとする。)

未成年を『幼児・少年・青年』に分けるとしてどこに線を引くか、ってマジで個人差デカそう。私は『少年』のエリアを相当広く取ってしまう人間だ。グノーシアのレムナン(19)のことも少年枠で認識してるし(あれは精神面も加味してという感じではあるが)

あとこれは作品における主観の置き方もあると思う。例えば主人公が高校2年生の作品で、高校3年生の先輩キャラだと割と『青年』って感じするし。でもその先輩キャラと似たようなキャラが全然違う別作品にいたとしたら『少年』と認識するかもしれない。主観すぎる。

九龍城砦とかバンパイアハンターDとか見てて思ったけど一見そんなに強そうに見えないオッサンや三枚目らもとりあえず全員強いのってうれしいかもしれない

「実際に作ってみると頭の中でぼんやり思い描いていた通りには絶対ならない」ことこそが自分の創作物アウトプットの一番のモチベーションに繋がってるんじゃないか、みたいなことを最近はより強く感じてるな